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【なつぞら】 坂場一久役・中川大志のプロフィール!実在モデルは高畑勲!

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ジブリの立役者の高畑勲氏がモデルとされている、坂場一久(さかばかずひさ)がいよいよ登場してきます。

彼を演じる中川大志さんのプロフィール、モデルとなっている高畑勲氏のプロフィールや人となりをリサーチしてみました!

坂場一久(さかばかずひさ)の役柄は?

東洋動画に、監督見習いとして入社。

絵を描くことはできないが、アニメに関する知識が豊富で、発想力にたけており、誰もが思いつかないようなストーリー展開を考えつく才能があるのですが、要領が悪い事から、無理難題を押し付けてはアニメーターらを振り回し困惑させるのが難点。

周囲からは少し変わり者の男と思われている。

なつも彼への最初の印象はあまりよくない・・・が・・・。



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坂場一久演じる中川大志は人気のイケメン俳優!気になるプロフィールは?

本名:中川大志(芸名と同じ)

生年月日:1998年6月14日 で(21歳)

出身地:東京都

職業:俳優・タレント

ジャンル:ドラマ・映画・CM

主な作品は以下の通りです。

「テレビドラマ」
わたしが子どもだったころ
おひさま
なつぞら
江〜姫たちの戦国
平清盛
真田丸
家政婦のミタ
13歳のハローワーク
地獄先生ぬ〜べ〜
南くんの恋人〜my little lover
花のち晴れ〜花男 Next Season〜
覚悟はいいかそこの女子。
スキャンダル専門弁護士 QUEEN

「映画」
青鬼 ver2.0
きょうのキラ君
ReLIFE リライフ
虹色デイズ
覚悟はいいかそこの女子。

「CM」
資生堂「シーブリーズ」
雪印メグミルク「雪ミルク」
ソフトバンク「白戸家:ギガ物語2」
AOKI「フレッシャーズ」
au「au STAR」

引用元:中川大志wikipedia

お茶の間でイケメン俳優の1人としてすっかり人気が定着した感のある中川大志さん。

まだ20代に突入したばかりという意外とお若い俳優です。

現在、ドラマやCM,映画と超売れっ子の彼ですが、デビューしたのは10年前。

10代そこそこの芸能界デビュー。

2009年に著名人の子供時代の思い出を語るNHKの再現ドラマ『私が子どもだったころ』俳優の沢村一樹さんの子供時代を演じたのがドラマデビュー作のようです。

その後大ブレイクを果たしたのが、2011年の『家政婦のミタ』での阿須田家の長男の翔役からでした。



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中川大志さんの演技力は?

子役時代から、さまざまな役をこなしてきた中川大志さん。

整った顔立ちとスマートな外見を持ちながら、本人にはどうもその自覚がないようで、仕上がった映像をみて、『こんなにかっこよく撮っていただいて本当にありがとうございます!』と興奮しながら、挨拶をされたという映画監督は、そんな謙虚さが子役から、大人の俳優になるまでの大成を築いたのではないかとおっしゃっていました。

爽やかなイケメンのイメージが強い中川大志さんですが、彼自身に自覚がないという事はイメージにとらわれることなく、演技のふり幅も非常に広いということで、撮る側の思惑以上のはじっけっぷりを演じるなど、本人が何物にもとらわれずに演技をする姿が魅力的な俳優として業界では注目を浴びています。

確かに二枚目が三枚目を自然に演じるのは至難の業?

ですが、自覚がなければそれもナチュラル?

10代の頃から、さまざまな作品に出演しながら、20代という若さですでに安定した演技を見せる中川大志さんは、次世代を担う俳優の1人として確実に進化をとげているといえそうです。

坂場一久の実在モデルはジブリで有名なあの人!?

坂場一久の実在のモデルは、ジブリ映画の立役者の1人として名高い高畑勲氏だといわれております。

スタジオジブリは、当時『天空のラピュタ』の制作を請け負ってくれる制作会社を探索していた宮崎駿氏が『いっそのこと自分達で制作会社を作りませんか?』と高畑氏より提案されたことがきっかけとなり創立されたとの逸話はあまりに有名です。

坂場一久のモデル高畑勲氏はどんな人?代表作は

高畑勲氏のプロフィールを紹介します。

本名:高畑勲(たかはたいさお)

別名:武元哲

生年月日:1935年10月29日
     2018年4月5日没 85歳

出身地:三重県宇治山田市(現在の伊勢市)

職業:映画監督・アニメーション演出家・プロデューサー

ジャンル:アニメ映画・テレビアニメ

主な作品は以下の通りです

1964年狼少年ケン
演出

1968年
太陽の王子 ホルスの大冒険
監督・演出

1969年、1970年
もーれつア太郎
演出(カラー版OP/ED演出も担当)

1971年
ルパン三世 (TV第1シリーズ)
演出

1972年
パンダコパンダ
監督

1974年、1975年、1979年
アルプスの少女ハイジ
演出

1975年
フランダースの犬
第15話絵コンテ

1976年、1980年
母をたずねて三千里
演出

1978年
未来少年コナン
演出・絵コンテ

1978年
ペリーヌ物語
絵コンテ

1979年
赤毛のアン
演出・脚本

1981年
じゃりン子チエ
監督・脚本 ※劇場版(テレビ版)

1984年
風の谷のナウシカ
プロデューサー

1986年
天空の城ラピュタ
プロデューサー

1987年
柳川堀割物語
監督・脚本

1988年
火垂るの墓
監督・脚本

1989年
魔女の宅急便
音楽演出

1991年
おもひでぽろぽろ
監督・脚本

1994年
平成狸合戦ぽんぽこ
監督・原作・脚本

1999年
ホーホケキョ となりの山田くん
監督・脚本

2013年
かぐや姫の物語
監督・脚本・原案

引用元:高畑勲wikipedia

高畑勲氏は現在の三重県伊勢崎市で生をうけ、その後岡山県へ移り住みます。

9歳の頃戦時下にあった岡山で空襲に遭い姉ともども猛火の中を逃げまどい九死に一生を得た事が人生で一番強烈な体験だったと往年語っています。

大学時代に出会ったフランス人の詩人の影響をうけ、その詩人の日本語の訳詞本を初で手掛けたほか、フランスの長編アニメ『王と鳥』の字幕の翻訳も手掛けています。

『紅の豚』劇場用パンフレットに記載されている『さくらんぼの実る頃』も高畑勲氏の翻訳によるもののようです。

なつぞらのモデルとなる『東映動画』に入社するきっけが、自ら手掛けたフランスの長編アニメ『王と鳥』が原型となった『やぶにらみの暴君』だったとされています。

この映画に感銘をうけた高畑氏はアニメーション映画を作る事を決め、『東映動画』に入社します。

テレビアニメ『狼少年ケン』で演出デビューを果たし、その才能を認められ、長編映画『太陽の王子ホルスの冒険』で監督に抜擢されます。

この作品は時間の経過とともに高評価を得た作品ですが、当時は、予算やスケジュールの大幅な超過、宣伝不足による興行不振で評判がよくありませんでした。

その後、高畑勲氏は、宮崎駿氏らと共にAプロダクションに移籍し、テレビアニメ『ルパン三世』の演出を手掛け、人気作品となった『ルパンシリーズ』の原型を作ります。

さらに、トトロのルーツとなった『パンダコパンダ』の演出を手掛け、いくつかの映像会社に移籍を繰り返しながら、『未来少年コナン』『じゃりン子ちぇ』などヒット作を送り出しています。

宮崎駿氏が『風の谷のナウシカ』で得た資金で高畑氏にアニメ映画を依頼。

高畑氏は脚本・監督を務め『柳川堀割物語』を制作をしますが、宮崎氏が用意した資金を使い果たした挙句に大幅に超過したため、宮崎氏は自宅を抵当に入れるまでの事態となってしまいます。

結果、宮崎氏は徳間書店の鈴木敏夫氏とともに『柳河堀割物語』の制作費を回収するために新作『ラピュタの城』を制作することとなります。

『ラピュタの城』制作を依頼するための会社探しが難航する中で、宮崎氏と鈴木氏は高畑氏より、自分達でスタジオを創立さればいいという提案を受け、スタジオジブリを創立。

『ラピュタの城』はスタジオジブリ初の作品として公開され、大ヒットします。

その後、スタジオジブリに所属しますが、『作り手は経営の責任を負うべきではない』という信念を一貫。

役員への就任も辞退し、経営にかかわることは一切なかったといいます。

スタジオジブリではいくつもの有名な作品を送り出してきましたが、体調を崩し、2013年公開となった『かぐや姫の物語』を最後に82歳で、惜しまれつつこの世を去りました。

〆の一言

東映動画時代に出会った宮崎駿氏とは先輩・後輩の仲でしたが、のちに宮崎駿氏の事をアニメを通じて切磋琢磨できる、盟友であると事あるごとに語っています。

なつぞらでも、坂場一久演じる中川大志さんと宮崎駿氏モデルの神地航也演じる染谷将太さんとの掛け合いも熱くなりそうで楽しみですね。



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